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東京高等裁判所 昭和51年(ネ)1028号 判決

控訴人

東洋酸素株式会社

右代表者

淺尾祐造

右訴訟代理人

松崎正躬

松本栄一

被控訴人

嶋崎孝司

外一二名

右一三名訴訟代理人

岸星一

水嶋晃

主文

原判決中被控訴人らの申請を認容した部分を取り消す。

被控訴人らの申請をいずれも却下する。

訴訟費用は第一、二審とも被控訴人らの負担とする。

事実《省略》

理由

一控訴人が酸素、アルゴン、窒素、アセチレン、液化石油ガス等各種高圧ガスの製造、販売、これらのガスの製造装置、付帯機械器具等の製造、販売その他の付帯事業の経営を目的とする株式会社であつて、東京都品川区に本店を置き、東京都ほか五市に営業所及び出張所を、川崎市、千葉市及び東京都に工場をそれぞれ有していること、昭和四五年当時の控訴人会社の資本金額は一五億二、〇〇〇万円であつたこと、被控訴人らは、いずれも控訴人に雇用されて昭和四五年八月当時控訴人会社川崎工場のアセチレンガス製造部門(以下「アセチレン部門」という。)に勤務していた従業員であつて、昭和四五年以前から、控訴人会社の従業員を主たる構成員として組織された合成化学産業労働組合連合東洋酸素労働組合(以下単に「組合」という。)川崎支部に所属する組合員であつたこと、控訴人は、昭和四五年八月一五日限り川崎工場のアセチレン部門を閉鎖したが、これに先立ち同年七月二四日被控訴人らを含む同部門の従業員全員(ただし、同部門の製造二課長の職にあつた従業員一名を除く。以下同じ。)に対し、アセチレン部門の閉鎖に伴い同年八月一五日限り解雇する旨の意思表示(以下「本件解雇通告」という。)をしたこと、昭和四五年当時における控訴人会社の就業規則五二条本文には、「社員(注。従業員をいう。)が次の各号の一に該当するときは三〇日前に解雇予告するか、平均賃金三〇日分以上を支給して解雇する。」、同条八号には、「やむを得ない事業の都合によるとき」との規定があり、本件解雇通告は右就業規則五二条八号に該当する事由があることを理由としてなされたものであること、以上の各事実は当事者間に争いがない。

二そこで、控訴人会社川崎工場のアセチレン部門の閉鎖に伴う被控訴人ら従業員の整理解雇が右就業規則五二条八号にいう「やむを得ない事業の都合による」ものと言い得るか否かについて判断する。

1 およそ、企業がその特定の事業部門の閉鎖を決定することは、本来当該企業の専権に属する企業運営方針の策定であつて、これを自由に行い得るものというべきである。しかし、このことは企業が右決定の実施に伴い使用者として当該部門の従業員に対する解雇を自由に行い得ることを当然に意味するものではない。我国における労働関係は終身雇用制が原則的なものとされており、労働者は、雇用関係が永続的かつ安定したものであることを前提として長期的な生活設計を樹てるのが通例であつて、解雇は、労働者から生活の手段を奪い、あるいはその意思に反して従来より不利な労働条件による他企業への転職を余儀なくさせることがあるばかりでなく、その者の人生計画を狂わせる場合すら少なくない。したがつて、労働者を保護するために、たとえば労働基準法一九条一項に見るように、法律の明文によつて使用者の解雇の自由が制限されていることがあるが、そのような場合に当たらないときであつても、先に述べたように解雇が労働者の生活に深刻な影響を及ぼすものであることにかんがみれば、企業運営上の必要性を理由とする使用者の解雇の自由も一定の制約を受けることを免れないものというべきであり、控訴人会社の就業規則五二条が使用者側の都合による従業員の解雇を無制約なものとせず、「やむを得ない事業の都合によるとき」に限定したのは、右に述べた事理を就業規則上明文化したものと解されるのである。

しかして、解雇が右就業規則にいう「やむを得ない事業の都合による」ものに該当するといえるか否かは、畢竟企業側及び労働者側の具体的実情を総合して解雇に至るのもやむをえない客観的、合理的理由が存するか否かに帰するものであり、この見地に立つて考察すると、特定の事業部門の閉鎖に伴い右事業部門に勤務する従業員を解雇するについて、それが「やむを得ない事業の都合」によるものと言い得るためには、第一に、右事業部門を閉鎖することが企業の合理的運営上やむをえない必要に基づくものと認められる場合であること、第二に、右事業部門に勤務する従業員を同一又は遠隔でない他の事業場における他の事業部門の同一又は類似職種に充当する余地がない場合、あるいは右配置転換を行つてもなお全企業的に見て剰員の発生が避けられない場合であつて、解雇が特定事業部門の閉鎖を理由に使用者の恣意によつてなされるものでないこと、第三に、具体的な解雇対象者の選定が客観的、合理的な基準に基づくものであること、以上の三個の要件を充足することを要し、特段の事情のない限り、それをもつて足りるものと解するのが相当である。以上の要件を超えて、右事業部門の操業を継続するとき、又は右事業部門の閉鎖により企業内に生じた過剰人員を整理せず放置するときは、企業の経営が全体として破綻し、ひいては企業の存続が不可能になることが明らかな場合でなければ従業員を解雇し得ないものとする考え方には、同調することができない。けだし、使用者はいつたん労働者を雇用した以上客観的、合理的事由のない単なる自己都合によつてこれを解雇する自由を有しないことは前述のとおりであるけれども、資本主義経済社会においては、一般に、私企業は、採算を無視して事業活動及び雇用を継続すべき義務を負うものではないし、また、事業規模の縮小の結果労働力の需要が減少した場合に、全く不必要となつた労働力をひきつづき購買することを強制されるものではなく、雇用の安定による労働者の生活保障、失業者の発生防止等の観点から私企業に対し、前記以上に雇用に関して需要供給の関係を全く無視した特別な法的負担を課する根拠は現在の法制のもとにおいては認められないからである。

なお、解雇につき労働協約又は就業規則上いわゆる人事同意約款又は協議約款が存在するにもかかわらず労働組合の同意を得ず又はこれと協議を尽くさなかつたとき、あるいは解雇がその手続上信義則に反し、解雇権の濫用にわたると認められるとき等においては、いずれも解雇の効力が否定されるべきであるけれども、これらは、解雇の効力の発生を妨げる事由であつて、その事由の有無は、就業規則所定の解雇事由の存在が肯定されたうえで検討されるべきものであり、解雇事由の有無の判断に当たり考慮すべき要素とはならないものというべきである。

2  よつて、右に述べた判断基準に照らし、まず、控訴人が決定、実施したアセチレン部門の閉鎖措置の必要性・合理性の有無について検討する。

(一)  控訴人会社が酸素、アルゴン、窒素の製造、販売等のほかに昭和二八年からアセチレンガスの製造、販売をも行うこととし、川崎工場内にその製造部門を設置し、以来一七年間にわたりその製造、販売を行つてきたこと、控訴人会社のアセチレン部門の業績は、当初の約五年間は同業者が少なく市況も安定していたため一応順調な伸展を見せ、それに応じて控訴人会社も同部門の設備の増強、拡大に努力してきたこと、しかし、昭和三四年ごろになると、中小の酸素製造業者をはじめ高圧ガス販売業者、カーバイト製造業者などが続々とアセチレンガスの製造、販売を開始し、業者間の競争が激化するようになつたこと、昭和三八年ごろから新しくプロパン、プロピレンなどの石油系の溶断ガスが出現し、アセチレンガスの大口需要者である鉄鋼、造船、造機等の業者がアセチレンガスに代えて石油溶断ガスを使用する傾向が生ずるに至つたことは、当事者間に争いがない。〈証拠〉に前記当事者間に争いのない事実を総合すると、次の事実を認めることができる。

元来、アセチレンガスの製造工程は極めて簡単であるうえ、その製造設備や操業は比較的少額の資金によつても実施可能であるため、前述のとおり昭和三四年ごろ以降中小の酸素製造業者をはじめ多数の業者がアセチレンガスの製造業界に進出し、全国におけるアセチレン製造工場数は、控訴人会社が川崎工場にアセチレン部門を設置する直前の昭和二八年七月当時には一五工場にすぎなかつたのに対し、昭和三八年末には八五工場にも達し、各地に工場が設立されて製品の供給過剰を招くに至つた。そのため、アセチレンガスの市況は昭和三五、六年ごろから次第に悪化し、加えて、昭和三八年ごろから爆発の危険性の低い石油系溶断ガスが大量かつ安価に生産、供給され、前述のとおりアセチレンガスの大口需要者である鉄鋼、造船、造機等の業者がアセチレンガスに代えて石油系溶断ガスを使用するようになつたことからアセチレンガスの需要の伸びが急速に鈍化し、アセチレンガスの価格の低落に拍車がかけられ、控訴人会社の溶解アセチレンの販売価格は、昭和三二年ごろには一キログラム当たり約三〇〇円程度であつたのが、昭和三八年には約二二〇円となり、更に、昭和四三年下期から同四四年上期にかけては一九三円弱にまで落ち込んだ。ところで、アセチレン業界においては、従業員一人一か月当たりの生産量が生産能率比較の指標とされているが、一般には六トン程度が常識とされているのに、控訴人会社においては昭和三七年までは冬期で約1.8トン、夏期で約1.4トンないし1.6トンであり、昭和三八年以降は最高時においても1.7トンにとどまり、一トン程度の場合すら珍らしくなかつた。そのため、控訴人会社におけるアセチレンガスの製造原価中に占める人件費の割合は、他の同業者に類例を見ないほど高率となつており、他方、アセチレン部門の従業員の賃金水準は他の大手酸素同業各社(日本酸素株式会社(以下「日本酸素」という。)、帝国酸素株式会社(以下「帝国酸素」という。)、大阪酸素工業株式会社(以下「大阪酸素」という。)及び大同酸素株式会社(以下「大同酸素」という。))に比較して遜色のないものであつたため、このことがひいてはアセチレンガスの製造原価を高める結果を招き、控訴人会社は市況の悪化を克服することができなかつた。以上に述べたような原因によつて、控訴人会社のアセチレン部門の収支は昭和三八年上期から赤字に転落するに至り、その赤字額は毎年累積して、昭和四四年下期までに総額約四億一、六〇〇万円に達した。〈証拠判断略〉

〈証拠〉によれば、同人が作成した疎乙第四号証の一ないし一五の部門別損益計算書には、アセチレン部門の従業員のアセチレンガス製造作業以外の作業によつて生じた収益はアセチレン部門の売上欄に計上されず、「その他」の部門の売上欄に含めて計上されていることが認められるが、右収益の原価がアセチレン部門の労務費その他の原価欄に計上されているか否かはこれを認めるに足りる資料はなく、かりに計上されているとしても、右証拠によれば前記のアセチレン部門の赤字の状況を大きく左右するほどの数額ではないことが認められるので、疎乙第四号証の一ないし一五が控訴人会社のアセチレンの製造に伴つて生じた赤字額をことさら誇張して記載されたものであるとはにわかに断じ得ない。〈証拠判断略〉

(二)  右のようなアセチレン部門の業績の悪化に対処すべく控訴人会社が執つた措置について見ると、昭和三四年当時の控訴人会社のアセチレンガス製造装置は第一、第二工場ともに毎時一五立方メートルのもの各四基であつたこと、昭和三五年中に控訴人会社が第二工場の製造装置四基を毎時三〇立方メートルのものに切り換えたこと、控訴人会社が、昭和三六年五月に日本鋼管水江製鉄所にアセチレンガスを供給するためのパイプラインとガス昇圧ブロワー装置を、また、昭和三八年一一月に日立造船神奈川工場にアセチレンガスを供給するためのパイプラインをそれぞれ完成させたことは、当事者間に争いがなく、〈証拠〉を総合すると、控訴人会社は右のほかアセチレンガスの販売量を増加させるため、昭和三四年から同三七年までの間に、それまでは控訴人会社所有のアセチレン容器は約一万六、〇〇〇本(一本当たりの充てん量約六キログラム)にすぎなかつたのを約三万三、〇〇〇本に増加させるなど、アセチレン部門の生産能力の増強、アセチレン容器の増加、大口需要者に対するアセチレン供給設備の改善等につきそれなりの努力をしてきたこと、更に控訴人会社は、人件費の節減によるアセチレンガスの製造原価の引下げを図るため組合ないしその川崎支部と交渉を重ね、組合側の協力を求めたこと、しかしながら、以下に述べるような控訴人会社における労使間の不安定が禍いして、生産性の向上及び製造原価の引下げはいずれも所期の目的を達することができなかつたこと、すなわち、昭和三六年から同三七年にかけて控訴人会社は川崎工場のアセチレン部門の従業員に過剰人員があるとして配置転換による合理化を試みようとしたことから、同部門の要員の過不足や適正配置問題をめぐつて労使間で紛争が発生し、控訴人会社は組合川崎支部と交渉の結果、昭和三七年五月一四日、アセチレン部門の第一、第二工場の製造装置各四基と日本鋼管水江製鉄所に対するアセチレンガス昇圧ブロワー装置を運転させることを前提として、三交替制各直の作業人員を二〇名とし、欠勤や有給休暇等による欠員が生じても出勤者数が一八名に達しているときは右各装置を運転することを主たる内容とする、いわゆる二〇名要員覚書の協約を同支部との間で締結し(以上の事実は当事者間に争いがない。)、紛争を一応収拾したが、控訴人会社はその後も組合に対し要員の削減と作業能率の向上を求めたのに対し、組合は従業員の労働強化であるとしてこれに強く反対したこと、そのため、せつかく完成した日立造船神奈川工場へのパイプラインも稼働しないまま約六か月間も放置されるという事態が生じたこと(右事態が生じたことは当事者間に争いがない。)、その後、アセチレン部門の労使間には、要員問題をめぐり昭和三七年一二月二〇日のいわゆる一九名要員団交確認、昭和三八年七月一五日のいわゆる一六名要員覚書(止むをえない事由により第一工場が運転できない場合につき)、昭和三九年五月四日のいわゆる日立送アセ問題に関する一九名要員等確認(組合は二名増員要求を取り下げ、作業員一直一九名ないし一七名では第一工場二基(バテ瓶充填)、第二工場四基及び水江送江アセ作業を行い、一六名ないし一四名では第二工場四基と水江送アセ作業を行い、日立送アセについてはマニホールド方式で作業を行う。)昭和四二年一一月一一日のいわゆる一四名要員覚書(第二工場の製造装置四基、水江及び日立送アセ装置の運転につき)、昭和四四年一月一八日のいわゆる機械運転台数規制を含む一四名要員覚書などの協約が締結されたが(右各協約が締結された事実は当事者間に争いがない。)、これらはいずれも暫定的なものにすぎず、要員問題をめぐる労使間の紛争は依然として絶えなかつたため、生産能率は向上せず、人件費の節減によるアセチレンガスの製造原価の引下げはその目的を達するに至らなかつたこと、以上の事実を認めることができる。

被控訴人らは、控訴人会社は他の大手同業各社に比べて設備の自動化、容器の改良等についての努力を怠つていた旨主張し、疎乙第一四号証の一及び四によると、昭和三五年を基準とした控訴人会社の全事業部門に対する設備投資額の伸び率は、昭和四二年から同四四年までの三年間は酸素大手五社中の最下位にあることが認められるが、右の事実から直ちにアセチレン部門に対する控訴人会社の設備投資が他の大手同業各社のそれと比較して不十分であつたものと断定することは不可能である。また、〈証拠〉によると、アセチレンの製造能力を向上させるため、他の大手同業各社のうち帝国酸素及び大同酸素はカーバイトの自動投入方式を採用し、控訴人会社も、昭和三七、八年当時は社内報で近くアセチレン製造設備を自動化する方針である旨言明していたが、その後控訴人会社においては設備の自動化は遂に実施されなかつたことが認められる。しかしながら、〈証拠〉によると、カーバイトの自動投入方式を採用した場合、カーバイトの小塊を使用するときは省力化には役立つが、原料価格が割高となるうえ原料の風化による損失が生じやすい欠点があり、カーバイトの大塊を使用するときは原料のコスト面からは有利であるが、投入が連続的に円滑に行われるようにするためには看視要員の常時配置が必要であつて省力化の実を挙げることができず、結局、自動投入方式は人力投入方式に比べて採算上必ずしも有利とはいえないこと、〈証拠〉によると、アセチレンの製造は、その工程が極めて簡単であるため、原料であるカーバイトの投入を自動化すること以外には機械化の余地がほとんどない事業部門であることが認められる。したがつて、控訴人会社がアセチレン製造設備の自動化を実施しなかつた事実をとらえて設備投資を怠つたものと評するのは当たらず、他に控訴人会社が設備投資その他の面においてアセチレン部門の業績向上のための企業努力をかくべつ怠つていた事実を認め得る資料はない。

(三)  前記2(一)の認定に供した各疎明資料のほか、〈証拠〉を総合すると、昭和三八年ごろ以降における酸素製造業者兼営のアセチレン部門の業績の悪化は、ひとり控訴人会社に特有の問題ではなく、大なり小なり業界共通の問題であつて、控訴人会社のアセチレン部門を含む昭和四三年までに開設された全国の酸素製造業者兼営のアセチレン部門の工場総数三五(うち大手業者のもの一八)のうち、昭和三九年から同四八年までの間に閉鎖されたものは一六(うち大手業者のもの一一、控訴人会社のアセチレン部門の閉鎖の時点より早い時点で閉鎖されたもの八)にのぼつており、更に昭和五〇年七月までには大手酸素製造業者のアセチレン部門は全部閉鎖されていること、右のように酸素製造業者によるアセチレン部門の経営が不利なものとなつたのは、アセチレンガスの供給過剰の傾向に加えて、アセチレンガスの製造については設備の近代化や大型化による経費節減の余地が少なく、酸素製造業者などによる大規模経営方式よりもアセチレンガスの専業製造業者による小規模経営方式の方が生産費が安く、有利となつたためであり、いわば業界の構造の変化に起因するものであること、控訴人会社はアセチレン部門の業績の悪化を防止するため前述のような種々の対策を講じたけれども、その効果はあがらず、同部門の赤字は年を追つて増大し、特に昭和四一年以降は、同部門の要員の削減、配置転換等に関する労使間の紛争が影響するところも大きかつたが、毎年六、〇〇〇万円から一億円近くにも及ぶ欠損となり、昭和三八年上期から昭和四四年下期に至るまでの累積赤字額は前認定のとおり約四億一、六〇〇万円に達したこと、昭和四〇年代に入ると、アセチレンガスの原料であるカーバイトの慢性的不足による価格の高騰、経済の高度成長に伴う人件費や運賃の急激な増大はアセチレンガスの製造原価の上昇傾向を不可避なものとし、その結果、通常の工夫や努力をもつてしてはアセチレン部門の赤字を黒字に転ずることは不可能であると考えられるようになるとともに、さきに認定したような労使間の事情から、組合ないし組合川崎支部に対し要員の思い切つた削減や作業能率の飛躍的な向上を求めることも困難であると考えられるに至つたこと、他方、控訴人会社の主力営業部門である酸素部門は昭和三八年以降もかなりの業績を挙げ、控訴人会社全体の収支は相当額の黒字であり、昭和三八年から昭和四四年に至るまでの間における控訴人会社の純利益の合計額は約一七億二、九〇〇万円(税引後純利益は約一〇億四、九〇〇万円)に達したが、酸素製造業はその生産高及び売上高が主としてその製造設備の能力の如何によつて左右されるいわゆる装置産業であつて、当時酸素業界は各社が競つて設備投資を行つていた時代であり、前記の期間内におけるアセチレン部門の約四億一、六〇〇万円にも及ぶ累積赤字額は控訴人会社全体の業績の伸長、酸素部門の設備の拡大を少なからず阻害し、控訴人会社の酸素部門は大手同業各社のそれと比較して生産能力その他において相当の立遅れを余儀なくされ、たとえば、系列下のオンサイトプラント及び共同製造会社を含めた大手同業者間の酸素の生産能力を比較すると、昭和三五年には、控訴人会社の一に対し、日本酸素四、帝国酸素三、大阪酸素及び大同酸素いずれもほぼ一であつたのが、昭和四五年には、控訴人会社の一に対し、日本酸素四七、帝国酸素一二、大阪酸素二、大同酸素六となり、その間に著しい格差が生ずるに至つたこと、その結果、アセチレン部門をこのままの状態で存続すれば控訴人会社全体の経営にも深刻な影響を及ぼし、酸素業界の競争に伍してゆくことは困難となることが予測されたことが認められる。

もつとも、〈証拠〉によると、控訴人会社の株式の配当率は、昭和三七年には無配であつたのが、昭和三八年下期から年四分に、昭和四一年上期から年六分に、昭和四二年下期から年八分に、更に昭和四四年下期から年一割に順次増加していることが認められるけれども、〈証拠〉によれば、昭和四五年ごろのわが国産業界の稀にみる好況の影響により、控訴人会社の酸素部門においてもその売上の伸長がみられるが、前記期間中における同社の営業成績は実質的には必ずしも好転したものではなく、利払、減価償却差引前利益は特段に大巾な上昇はなく、税引前利益が上昇し、配当又は増配に転じたのは、同社が格別の設備投資を行わなかつたため、支払利息、減価償却費が逐年減少したことに主たる原因があり、事業収益に格段の増大があつたことによるものではないこと、一割配当をすることは、同社が資金を導入するうえで無理をしてでもこれを実現する必要があつたことが認められ、控訴人会社における右配当増加等の事実もアセチレン部門の赤字が同社の経営全体に及ぼす影響についての前記認定を妨げるものではなく、他に前記認定を覆えすに足りる疎明はない。

(四)  〈証拠〉によれば、控訴人会社は、昭和三八年ごろからアセチレン部門の合理化、赤字解消につき検討し、組合又は組合川崎支部と交渉を重ねたが、同部門の従業員の減員、酸素部門への配置転換等について組合川崎支部の協力を期待することができない状況にあることが明らかになつたので、同四四年一〇月頃からは、同部門の存廃について検討を重ねた末、控訴人会社におけるアセチレン部門の収支の改善はもはやほとんど不可能な状態であることにかんがみ、大手酸素同業各社との企業間競争から落伍しないようにするためには、アセチレン部門を全面的に閉鎖するなどこれを控訴人会社の経営から切り離す以外に方法がないという結論に達したこと、しかし、アセチレン部門の閉鎖は、同部門に勤務している従業員の生活に重大な影響を及ぼすことになるため、控訴人会社は、昭和四五年三月ごろから、同部門の従業員の雇用をできるだけ継続したまま同部門の営業を第三者に譲渡する案や、同部門の従業員を経営主体とする別会社を設立する案などを検討し、特に後者の案については、同年三月三〇日組合川崎支部に対しこれを提示して(この点は当事者間に争いがない。)別会社の経営を引受ける意思の有無について回答を求めたが、前者の案は、同部門の営業の適当な譲渡人を見いだすことができず、後者の案は、その構想が具体的に確立したものではなかつたこともあつて、経営の責任を組合員に転嫁するもので検討に値いしないとの理由で組合川崎支部から一蹴されたため、いずれも実現するに至らなかつたこと、控訴人会社は、その後も検討を重ねたが、結局、同年六月五日の取締役会において、アセチレン部門を全面的に閉鎖するとともに、同部門に勤務している従業員全員を解雇する旨を決定したことが認められる。

(五)  以上に認定したところによれば、控訴人会社のアセチレン部門の業績の不振は、一時的なものではなく、同業各社に共通する業界の構造的な変化と控訴人会社に特有な生産能率の低いことに起因し、その原因の除去はいずれも困難であり、同部門の収支の改善はほとんど期待することができず、このままの状態で漫然と放置するときは、少なくとも主力部門である酸素製造部門が設備投資その他において同業各社との競争にさらに大きく立ち遅れ、大手同業各社との企業格差が拡大し、ひいては会社経営に深刻な影響を及ぼすおそれがあつたことが明らかであるから、控訴人会社がその経営の安定を図るため、会社の採算上多年マイナスの要因となつているアセチレン部門を閉鎖するに至つたことは、企業の運営上やむをえない必要があり、かつ合理的な措置であつたものといわざるを得ない。

3  次に、控訴人会社がアセチレン部門を廃止した結果、全企業的に見て、過剰人員が生じたか及び右部門の従業員を控訴人会社の他部門に配置転換する余地があつたかどうかについて検討する。

(一)  控訴人は、控訴人会社では酸素部門等においても従来からかなりの過剰人員を抱えており、昭和四〇年以降男子従業員の新規採用を停止し、定年、自己都合退職等による自然減員をまつて人員の縮減に努めてきたものであつて、アセチレン部門の従業員を他の部門に受入れる余裕は全くなかつた旨主張する。

控訴人会社が昭和四〇年以降、一部の女子事務員を除き一般的に従業員の新規採用を停止していた事実は当事者間に争いがなく、〈証拠〉を総合すると、本件解雇通告の前後においては、控訴人会社では酸素部門を含む全生産部門において人員縮減の方針がとられ、前記のように昭和四〇年から全般に新規採用を停止していたものであるが、そのころ及びその後の控訴人会社の男子職員新規採用者数は、昭和四〇年度上半期(年度とは毎年四月一日から翌年三月末日までをいう。以下同じ。)一名(労務部長付課長待遇の管理職)、昭和四三年度上半期二名(本社守衛)、昭和四七年度上半期一名(本社開発部開発課研究係員)、昭和四八年度上半期四名(本社生産部技術課技術係員二名、本社開発部開発係員一名、本社労務部在籍新洋酸素株式会社出向要員一名)、同年度下半期九名(国分寺営業所製造課凍結粉砕係員四名、千葉工場製造課生産二係員三名、同工場守衛一名、千葉営業所営業係員一名)、昭和四九年度上半期三名(新洋酸素出向要員一名、本社生産部技術課技術係員一名、足利営業所製造課石油ガス生産係員一名)、同年度下半期二名(本社生産部技術課技術係員一名、本社労務部在籍一名)であつたこと、右のうち昭和四七年度採用者及び昭和四八年度上半期採用者の合計五名は、いずれも技術職員であつて、現業職員を新規に採用したのは昭和四八年一一月になつてからであること、昭和四八年度下半期に国分寺営業所で合計四名の新規採用を行つたのは、ポリエチレンを凍結して粉砕する受託加工作業の注文が昭和四八年から急増したことに伴い、右作業の三交替勤務体制を実施するため増員の必要が生じたことによるもので、このような経営事情の変化は本件解雇通告当時には予想し得ないものであつたこと、もつとも、控訴人会社は、昭和四〇年度から昭和四四年度までの五年度間に定年退職者二七名中から一五名をB嘱託として採用し、更に昭和四五年度から昭和四九年度までの五年度間に定年退職者三四名中から二〇名をB嘱託として採用しているが、このことは嘱託の採用を必要とする欠員が現にあつたことを意味するものではなく、控訴人会社は五五歳定年制を採つていたところ、累次にわたる組合の定年延長の要求に対処するため、組合との協定に基づき、定年退職者についてこれをB嘱託として一年を単位とする再雇用及びその更新を行うこととしたものであり、B嘱託の採用はいわば実質上の定年延長措置であつて、これを新規採用と全く同視することはできないこと、控訴人会社のアセチレン部門以外の部門の男子従業員数は、昭和四五年八月一日現在において四二二名(うち、事務一三五、技術五九、現業一九一、特務三七)であつたのが、昭和五〇年一月一日現在では三五五名(うち、事務一二八、技術七一、現業一三〇、特務二六)となつており、右期間中に合計六七名の減少(うち、事務七名減、技術一二名増、現業六一名減、特務一一名減)をみているにもかかわらず、右減員に関して組合との紛争も特段に発生せず、控訴人会社の生産販売高は石油シヨツクによる一時的な景気後退の時期を除けばむしろ増勢を示しており、その間昭和四八年八月以降労働時間を全社全部門にわたつて週実働四二時間制から四〇時間制に変更し、年間一〇〇時間以上の時間短縮を実施したが、これによつて業務上の支障は全く生ぜず、機械、設備等につき特筆するほどの改善も認められないのにむしろ各種の作業能率は向上していることが認められる。

以上の事実によると、本件解雇通告当時、控訴人会社にはアセチレン部門以外の事業部門においても川崎工場及びその他の事業場を通じ新たに補充を必要とするような男子従業員の欠員がなかつたばかりか、かえつて数十名に及ぶ過員を擁しており、特に現業職員及び特務職員の著しく高い比率の過員状況から、控訴人会社としては右の過員の解消に努めていたものと認められる。

(二)  被控訴人らは、昭和四〇年以降控訴人会社の従業員数は全社的に見ても欠員状態にあつた旨主張し、疎甲第二六四号証によると、川崎工場及び川崎営業所の在勤者数は昭和三七年以降昭和四三年まで逐年減少してきたこと、〈証拠〉によると、控訴人会社の男子従業員数は、昭和四四年四月から昭称四五年四月までの一年間だけをとつて見ても、川崎在勤者(アセチレン部門に勤務する者も含む。)で二〇名減、全社的には三五名減となつていることが認められるが、右減員数が即欠員であるというのは当たらず、前認定の状況に照せばむしろ過員が逐年減少しつつあつたものと認めるのが相当である。

被控訴人らは、また、控訴人会社は昭和四〇年以降五〇名以上の女子従業員を採用しており、その中には従来男子従業員が従事していた職場に配置された者もいる旨主張する。〈証拠〉によると、控訴人会社は、昭和三九年度から同四四年度までの間に女子従業員五二名を新規採用したが、右期間内における女子従業員の退職者数は七四名であり、実質的には減員となつていること、また、昭和四五年度から同四九年度までの間における女子従業員の新規採用者数は七〇名であるが、その間六九名が退職しているので、純増は一名にとどまること、右一名の純増が生じたのは、昭和四五年八月から同五〇年一月までの間に川崎工場で男子事務員四名が減員され、他方、川崎営業所で男子事務員及び女子事務員各一名が増員された結果によるものであり、在籍人員数の上で見る限り川崎在勤者全体を通じ男子三名減、女子一名増となるため、あたかも従来男子が担当していた職務を女子が担当することになつたような観を呈するが、その職種はいずれも事務職であるうえ、右の女子一名の純増が生じた時期は昭和四七年以降であることがうかがわれる。したがつて、右に認定した控訴人会社の女子従業員の採用状況から、本件解雇通告当時控訴人会社の男子従業員に欠員があり又は近く欠員の生ずる見込みがあつたものと推認することは不可能であり、他に控訴人会社において従来男子従業員が配置されていた職場に女子従業員が配置された実例があつたことを認めさせる疎明はない。

(三)  次に、控訴人会社における前記過員の解消に関する見とおしについて見ると、〈証拠〉によれば、控訴人会社の男子従業員数は、昭和三九年度末(昭和四〇年三月三一日)現在で六三〇名(うち管理職四七名)、昭和四四年度末(昭和四五年三月三一日)現在で四八三名(うち管理職四二名)であつて、右の五か年間における管理職以外の従業員の自然減は全職種、全事業部門を通じて合計一四二名であり、その年間平均は28.4名であつて、昭和四五年度以降もほぼ同様の自然減が見込まれていたものと認められる。右の年間減員見込数は全事業部門の合計であつて、そのうちアセチレン部門以外の部門の男子従業員の年間減員見込数は、これをつまびらかにすることができないが、これを年間28.4名と仮定しても、アセチレン部門以外の部門における過員を自然減によつて解消するためには、前記の過員状況からすれば、昭和四五年当時今後少くとも二年以上を要すると見込まれていたものと推認され、〈証拠〉によると、実際には、その後生じた石油シヨツクによる景気の下降や雇用不安等により自己都合退職者が減少した結果、前記過員が解消したのは昭和五〇年になつてからであつたことが認められる。

他方、〈証拠〉によると、アセチレン部門の閉鎖当時同部門に勤務していた従業員(課長一名を除く)は、総員四七名で、その職種は、製造二課管理係員一名が技術職である以外は、被控訴人らを含むその余の従業員四六名はすべて工場現場の作業に従事するいわゆる現業職であつたことが明らかであるから、被控訴人ら現業職に属する従業員を他部門に配置転換するとすれば、その対象となるべき職種は、現業職及びこれと類似の職種である特務職に限られるのが相当ということができる。ところが、他部門においては現業職及び特務職は当時過員であり、近い将来欠員が生ずる見込はない状態にあつたことは前述のとおりである。右のように、他部門において労働力の需要がなく、また、近い将来右需要の生ずることも期待し得ない事情にあつた以上、アセチレン部門の閉鎖により全企業的に見ても右部門の従業員は剰員となつたことが明らかであるといわなければならない。

(四)  右の点に関し、被控訴人らは、アセチレン部門の従業員を女子事務員に退職者が生じた場合の補充として暫定的に右職場に配置する等の配慮をすべきであつた、あるいは将来経営事情が変化して事業範囲を拡張し新規業務を開始する場合に備えて、アセチレン部門の従業員を新規業務要員として温存しておくべきであつた旨主張するけれども、被控訴人らは現業職員であつて、その従事している業務は女子事務員の従事すべき業務と職種の代替性のないことが明らかであるし、また、アセチレン部門の閉鎖当時において、将来事業範囲を拡張し新規業務を開始する計画が存したことを認め得る資料もないので、右主張はいずれも採用することができない。

更に、被控訴人らは、控訴人会社が、アセチレン部門の従業員の配置転換先を確保するため他部門の従業員について希望退職者を募集する措置を講ずべきであつたのに、これを怠つた旨主張するところ、他部門の従業員について控訴人会社が希望退職者の募集をしなかつたことは控訴人の認めるところであり、同社が右の措置をとつたならばアセチレン部門閉鎖によつて余剰人員が生ずることを防ぐことができたか否かは不確定の事実ではあるが、一般に企業が特定の事業部門を閉鎖するに当たり、同事業部門の従業員の配置転換先を確保するために他部門の従業員につき希望退職者を募集すべき義務があるか否かは、当時の諸般の事情を考量して判断されるべきものである。しかして〈証拠〉並びに弁論の全趣旨を総合すると、本件アセチレン工場閉鎖の当時はわが国経済の高度成長の最盛期に当り、産業界一般に求人難の時期であつたため、控訴人会社としては、全従業員について希望退職者を募集するときは、他企業とくに規模拡張中の同業他社から控訴人会社の酸素部門、営業部門の従業員に対する引抜きを誘発することを恐れたこと、また、希望退職者を募集する以上は、その方法に工夫を加えたとしても、控訴人会社において必要とする熟練従業員等がこれに応じた場合に、これを阻止することは困難であるとともに、これらの従業員に代えて技倆未熟なアセチレン部門の従業員を配置するときは、少なくとも当分の間作業能率の低下は避けられないこと、さらに、前記のとおり控訴人会社の酸素部門等においては現業職員及び特務職員につき多大の過員を抱え、自然減耗による減員の方針を維持してきたところであるから、右部門の希望退職者に代えて全般に年令の比較的若いアセチレン部門の従業員を配置するときは、右人員の合理化計画に支障が生ずる恐れがあつたこと、昭和四五年七月中旬に控訴人会社が本件整理解雇を行う旨を公表したところ、四七名の被解雇者について地元の同業各社や大手有名会社を中心に関東一円の企業一二二社から延べ一、二二〇名に及ぶ求人の申入れが控訴人川崎工場に殺到し、当時は再就職事情が極めて良好であつたことが認められる。

以上の事実を勘案すると、控訴人会社が当時全社的に希望退職者を募集することによつて会社経営上大きな障害が生ずることを危惧したのはあながちこれを杞憂として理由なしと断ずることはできず、右認定の事実を総合考量すると控訴人会社は当時希望退職者を募集すべきであり、これによりアセチレン部門閉鎖によつて生ずる余剰人員の発生を防止することができたはずであるということはできない。

その他被控訴人らは、控訴人会社の経営状態はアセチレン部門の従業員を解雇しなければ経営が破綻するような状況にあつたものではなかつた旨、るる主張するけれども、右主張は、企業内に生じた過剰人員を整理せず放置するときは企業の経営が破綻することが明らかな場合でなければ従業員を解雇し得ないことを前提とするものであるところ、右前提の採用できないことは既に説示したとおりであるから、右主張は、本件解雇がやむを得ない事業の都合によるものであるかどうかの判断に影響を及ぼすものではない。

4  上記説示のとおり、控訴人会社のアセチレン部門の閉鎖により、同部門の従業員は最高責任者である製造二課長以下四八名がことごとく過剰人員となつたものである。そして、控訴人会社は前記のとおり既に企業全体に過剰人員を擁していたのであるが、そのうちから控訴人会社が具体的な解雇対象者として被控訴人らを含むアセチレン部門の従業員(管理職たる課長一名を除く)四七名全員を選定したことは、一定の客観的基準に基づく選定であり、その基準も合理性を欠くものではないと認められる。けだし、アセチレン部門は他部門とは独立した事業部門であり、これを全面的に廃止したことにより企業全体としての過員数が一層増加するに至つたのであつて、この過員数の増加をくいとめるため、管理職以外のアセチレン部門の従業員全員を整理解雇の対象者とすることには、当時としては相当な理由があつたということができるからである。

5  以上のとおりであるから、本件解雇は就業規則にいう「やむを得ない事業の都合による」ものということができ、本件解雇について就業規則上の解雇事由が存在することは、これを認めざるを得ないものというべきであり、他に右認定を妨げるべき特段の事情の存在は認められない。

三被控訴人らは、本件解雇通告は、雇用契約関係を規律する信義則に違反したものであり、また、権利を濫用したもので、違法無効であるという。

そこで検討すると、控訴人会社が昭和四五年六月五日の取締役会でアセチレン部門を全面的に閉鎖するとともに同部門に勤務している従業員全員を解雇することを決定するに至つた経過については、前記二・2・(四)において認定したとおりであり、〈証拠〉によると、控訴人会社は更にその後右閉鎖及び解雇の実施期日及び方法について検討したうえ、同年七月上旬ごろ、実施期日を同年八月一五日とし、解雇者に対しては退職金規定による退職金のほかに勤続年数等を考慮した特別加給金、予告手当及び帰郷旅費を支払うこと等を決定したことが認められる。そして、右決定に基づき、控訴人会社が昭和四五年七月一六日に組合及び組合川崎支部に対し右決定の趣旨を通知するとともに、全従業員に対し右閉鎖及び解雇の理由を説明したアセチレン部門白書を配布し、更に、同月二四日被控訴人らを含むアセチレン部門の全従業員に対し本件解雇通告をし、同年八月一五日同部門を閉鎖するに至つたこと、昭和四五年当時、控訴人会社と組合との間には、組合員である従業員の解雇問題につき事前に協議すべき旨の労働協約等は存在しなかつたのであるが、控訴人会社は、アセチレン部門の閉鎖及びそれに伴う同部門の従業員の解雇につき組合の理解と協力を得るため、前述のとおり昭和四五年七月一六日に組合に対し右閉鎖及び従業員の解雇の実施方を通知したほか、本件解雇通告後右閉鎖の実施に至るまでの間に、同年七月三〇日、八月七日及び同月一四日の三回にわたり組合と団体交渉を行つたこと、しかし、組合は、控訴人会社のアセチレン部門の一方的な閉鎖及び従業員の解雇には原則的に反対である旨主張し、右閉鎖の実施期日の延期を要求するのみで、問題解決の具体的方法については何らの対案も提示しなかつたので、控訴人会社は組合の了解と協力を得ないまま同年八月一五日に予定どおり右閉鎖及び同部門の従業員の解雇を決行したこと、以上の事実は当事者間に争いがなく、〈証拠〉によれば、控訴人会社は、同月一二日付をもつて右従業員各人に対し同月一五日に前記退職金、三〇日分の解雇予告手当等を川崎工場において支給する旨をあらためて通知したことが認められる。

右の事実関係に徴して明らかなとおり、控訴人会社が取締役会で決定したアセチレン部門の閉鎖及び同部門の従業員の全員解雇の方針を組合及び組合川崎支部に対しはじめて通知したのは同年七月一六日であり、解雇対象者である被控訴人らに対し本件解雇通告をしたのは同月二四日であり、右閉鎖及び解雇を実施したのは右通知の日から約一か月後、本件解雇通告の日から約二〇日後であつて、控訴人会社が組合と協議を尽くさないまま短期間のうちにアセチレン部門の閉鎖及びそれに伴う従業員の解雇を強行したことは、いささか性急かつ強引であつた感がないではない。

しかしながら、当時控訴人会社においては解雇問題につき組合と事前に協議すべき旨の労働協約等が存在しなかつたことは前述のとおりである。そして、控訴人会社が昭和三八年から同四五年に至るまでの長期間アセチレン部門の赤字経営を続け、結局、同部門を閉鎖してその従業員全員を整理せざるを得ない羽目に陥つた原因については、前記二において詳細に認定したとおりであり、控訴人会社の経営陣に特段の責められるべき落度があつたものとは認められない。そのうえ、〈証拠〉によると、控訴人会社は従来から組合川崎支部に対し、アセチレン部門の赤字が逐年増加しており、会社経営上放置しがたい状況にあること並びに同部門における人員削減と作業能率の向上が急務であることを繰り返し説明していたこと及びこれが実現できないときは、同部門の存廃が早晩検討されなければならないことも会社側から説明されていたことが認められ、更に、控訴人会社が昭和四五年三月三〇日組合川崎支部に対し、同部門の従業員を経営主体とする別会社を設立する案を提示して経営引受けの意思の有無を打診したことは既に認定したとおりであつて、〈証拠〉によれば、右の案につき同組合支部の賛意を得られなかつた控訴人会社は、同組合支部に対し、アセチレン工場に関する会社の決意は遠からず発表する旨を伝えていることが認められ、これらの事実からすると、少くとも控訴人会社はアセチレン部門の従業員に対し同部門の将来は楽観を許さず、早晩その存廃が問題とされることを知らせており、同部門の閉鎖及び本件解雇が全くの抜打ち的措置であつたと断定することはできない。また、〈証拠〉によれば、アセチレン工場においては控訴人会社の前記解雇の通告があつたこと等により同年八月に入つてからは欠勤者が増加し、同月一〇日以後は同工場の操業が殆ど停止する状態となり、一方同月一四日の組合との団体交渉は中断のまま組合側の申入れにより終つてしまつたので、控訴人会社としては同工場の閉鎖、解雇を延期する措置をとるに至らなかつたことが認められ、〈証拠判断略〉。このような事情のもとにおいては、控訴人会社が組合と十分な協議を尽くさないで同部門の閉鎖と従業員の解雇を実行したとしても、他に特段の事情のない限り、右の一事をもつて本件解雇通告が労使間の信義則に反するものということはできない。

ところで、〈証拠〉によると、帝国酸素、日本酸素、大同酸素等の大手酸素製造業者がその兼営するアセチレン部門を閉鎖した際には、労働組合と協議を尽くした結果、いずれも同部門の従業員を他の事業部門に配置転換するなどの方法を講じることにより、整理解雇者を一名も出さないで事態を解決したことが認められるけれども、右各証拠のほか、〈証拠〉に弁論の全趣旨を併わせると、帝国酸素、日本酸素及び大同酸素においては、控訴人会社と異なり、会社と労働組合との間にいわゆる人事協議約款が存在していたこと、右三社の労働組合は合理化問題について柔軟な態度をとつており、右三社のアセチレン部門の従業員は同部門の閉鎖前から徐々に配固転換により減少していたため、同部門の閉鎖時における従業員数の全従業員数に対する比率が低下していたこと、右三社は昭和四〇年から昭和五〇年にかけて毎年多数の男子従業員を新規採用しており、右三社においては、酸素部門等の事業規模が年々拡張され、アセチレン部門の従業員を配置転換により吸収し得るだけの労働力の需要があつたことを推認することができ、これらの諸点において右三社は控訴人会社と比べ全く事情を異にしていることがうかがわれる。したがつて、右三社がアセチレン部門を閉鎖した際に労働組合と協議を尽くした結果整理解雇者を出さなかつたという実例があるからといつて、これと比較して、控訴人会社の執つた本件整理解雇の措置が信義則に反し、解雇権の濫用であるとするのは、当たらないものというべきである。

被控訴人らは、控訴人会社が全従業員について希望退職者を募集するなどしてアセチレン部門の従業員の整理解雇を極力回避する措置を講じなかつたことをもつて本件解雇手続における信義則違背であるとして非難するが、控訴人会社に対し右のような措置をとることを期待することは、当時の事情からみて困難であつたことはさきに説示したとおりである。また、被控訴人らは控訴人会社がアセチレン部門の従業員につき希望退職者を募集し、解雇者を減じ又は無くする措置を講じなかつたことをも同様に非難するが、〈証拠〉によれば、本件整理解雇の実施後控訴人会社は組合と団体交渉を重ね、組合は会社の方針を承認し、解雇に応じた従業員については希望退職として取扱い、一人金一六万円の餞別金を加給することなどを合意し(以上は当事者間に争いがない。)、その後昭和四五年一一月二四日までに被控訴人らを含む二五名(本件仮処分事件の当初の申請人)を除く被解雇者全員が同年八月一五日付けの退職願を控訴人会社に提出して希望退職の取扱いを受けたが、右二五名の退職願の提出を拒否していたことが明らかであるから、希望退職を募集したとしても、アセチレン部門においては少くとも被控訴人らを含む二五名以上の者がこれに応ぜず、右の者らについて解雇を避けようとすれば、前記のとおり全社的に希望退職者を募集して配置転換をはかり、又はこれをせずにそのまま右の者らを他部門に吸収する以外にはなく、前者が期待できなかつたことは前示のとおりであり、後者についても前認定の控訴人会社の当時の他部門の現業職及び特務職の従業員の数及びその過員状況からすれば、右人員をそのまま控訴人会社において温存することを期待することができなかつたことは既に説示したところと同じである。以上に説示した諸事情を総合考量すると、控訴人会社が全社的にあるいはアセチレン部門の従業員につき希望退職者募集の措置を講じなかつたことをもつて信義則に違反するほど不当なものであつたと解することはできない。

その他、本件に現われたすべての資料を検討しても被控訴人らに対する本件整理解雇が被控訴人ら主張のように労使間の信義則に反し、又は解雇権の濫用にわたるものと認めることはできないので、被控訴人らの前記主張は失当である。

四被控訴人らは、控訴人のした本件解雇通告は、不当労働行為に該当し、無効である旨主張するところ、被控訴人らが組合川崎支部所属の組合員であり、組合活動を行つてきたことは当事者間に争いがない。しかしながら、本件解雇は、上来説示したとおり、就業規則に定める「やむを得ない事業の都合」によりなされたものであり、控訴人会社において被控訴人らが活発な組合活動を行つてきたことを嫌悪し、被控訴人らを職場から排除することにより組合川崎支部の団結力ないし団体行動力を弱体化する目的をもつて本件解雇を行つた旨の被控訴人らの主張事実は、全疎明資料によつてもこれを認めるに足りない。

よつて、右主張もまた採用することができない。

五以上に認定・判断したところによれば、控訴人会社が被控訴人らに対してした本件解雇通告は有効にその効力を生じたものというべく、これによつて被控訴人らは昭和四五年八月一五日限り控訴人会社の従業員の地位を喪失したものである。したがつて、本件仮処分申請は被保全権利の疎明がないことに帰着し、保証をもつて疎明に代えることも相当でないので、右申請は全部排斥を免れない。

これと一部結論を異にし、被控訴人らの申請の一部を認容した原判決は、当審の前示判断と牴触する限度で失当として取消を免れず、本件控訴は理由があるので、民事訴訟法三八六条、九六条、八九条、九三条を適用して、主文のとおり判決する。

(外山四郎 近藤浩武 鬼頭季郎)

〈参考・原判決〉

(抗弁に対する判断)

(東京地裁昭四五(ヨ)二四二六号、昭51.4.19民事第六部判決)

二1 そこで、債務者の抗弁について判断するに、まず、就業規則第五二条本文、同条第八号に債務者の主張するとおりの規定があつたこと、債務者が、就業規則の右規定に基づく解雇であると主張して、昭和四五年七月二四日、債権者らを含むアセチレン部門の従業員全員に対し、本件解雇通告をしたことは、当事者間に争いがない。

2 ところで、債務者が、本件のごとく特定の事業部門を閉鎖するのに伴ない、「やむを得ない事業の都合によるとき」に該当する事由があるとして、就業規則の右規定に基づき、同部門の従業員を有効に解雇するためには、同部門を閉鎖することが事業の経営上やむをえないものであると同時に、その従業員を解雇することもまた事業の経営上やむをえないものであり、さらに、その解雇の手続が社会通念上首肯すべきものであることを要するものと解すべきである。けだし、およそ解雇は従業員(さらにその家族)の生活に重大な影響を及ぼすものであるから、右規定の定める解雇の要件はこれを厳格に解釈し、当該事業部門の閉鎖およびその従業員の解雇の両者がいずれも事業の経営上やむをえないものであることを要すると解するのが相当であるとともに、右規定に基づく解雇は、通常従業員の側には何ら解雇の原因となるべき事由がないのにかかわらず、債務者側の一方的な都合によつて当該従業員の雇用契約上の地位を失わせることになるものであることに鑑み、その解雇の手続自体も社会通念上首肯すべきものであることを要すると解して、その解雇が従業員の生活に及ぼす影響をできるかぎり軽減するように配慮するのが相当であるからである。

3(一) ところで、債務者が昭和四五年八月一五日にアセチレン部門を閉鎖したことは、当事者間に争いがないので、まず、右閉鎖が債務者会社の事業の経営上やむをえないものであつたか否かについて検討する。

(二)(1) 債務者が、酸素、アルゴン、窒素の製造、販売等を行なうほかに、昭和二八年から、アセチレンガスの製造、販売をも行なうことを計画し、川崎工場内にその製造部門を設置して、以来一七年間にわたり、その製造、販売を行なつてきたこと、債務者会社のアセチレン部門の業績が、少なくとも当初の約五年間は、一応順調な伸展を見せ、債務者も、これに応じて、同部門の設備の増強、拡大に努力してきたこと、昭和三四年ころから、中小の酸素製造業者をはじめ、高圧ガス販売業者、カーバイト製造業者などがアセチレンガスの製造、販売を開始し、各地にその製造工場が群立して、その間の競争が激化するようになつたこと、昭和三八年ころから、プロパン、プロピレンなどの石油系溶断ガスが出現し、鉄鋼、造船、造機等の業者がアセチレンガスの使用を石油系溶断ガスの使用に切り換える傾向が生じるに至つたことは、当事者間に争いがない。そして、〈証拠〉を総合すると、アセチレンガスの市況は、昭和三五、六年ごろから、次第に悪化し、債務者会社のアセチレン部門の収支も、昭和三八年上期から、赤字に転落するに至り、その赤字は、その後毎年累積して、債務者会社の計算によれば、昭和四四年下期に至るまでの赤字の合計額が金四億一六〇〇万円にも達したことが一応認められ、〈る。〉

(2) そして、〈証拠〉を総合すると、債務者会社のアセチレン部門の収支が、昭和三八年以降、右に認定したような相当額の赤字を出すに至つた主要な原因は、ほぼ債務者が抗弁第三項1の(二)および(三)において主張するとおり(もつとも、その(三)において主張する計数の正確性については、問題がないわけではない。)、一つは、昭和三四年ころ以来、多数の業者がアセチレンガスの製造業界に進出し、各地に工場が群立して、業者間の競争が激化するようになつたうえ、昭和三八年ころから、爆発についての危険性が低い石油系溶断ガスが大量かつ安価に生産され、アセチレンガスの大口需要者である鉄鋼、造船、造機等の業者がアセチレンガスの使用を石油系溶断ガスの使用に切り換えるようになり、その結果、アセチレンガスの需要の伸びが鈍化するとともに、その価格が低落するに至つたことにあり、もう一つは、債務者会社のアセチレン部門の作業能率が他の業者のアセチレン部門のそれに比較してかなり低かつたため、右に述べたような市況の悪化を克服することができなかつたことにあると一応認めることができる。〈中略〉

(三)(1) 右のようなアセチレン部門の業績の悪化に対処し、債務者がこれを防止するための努力を怠つていなかつたかについて見るに、昭和三四年当時における債務者会社のアセチレン部門の製造装置は、第一、第二工場ともに、毎時一五立方メートルのもの各四基であつたが、昭和三五年中に債務者が第二工場の製造装置四基を毎時三〇立方メートルのものに切り換えたこと、債務者が、アセチレンガスの大口需要者への供給の合理化を図るため、昭和三六年五月に、日本鋼管水江製鉄所へのパイプラインとガス昇圧プロワー装置を完成し、昭和三八年一一月に、日立造船神奈川工場へのパイラプインを完成させたことは、当事者間に争いがなく、また、〈証拠〉によれば、債務者は、アセチレンガスの販売量を増加させるため、昭和三四年から同三七年までの間に、それまでは債務者所有のアセチレン容器が約一万六〇〇〇本(一本当たりの充填量は約六キログラム)にすぎなかつたのを約三万三〇〇〇本に増加させていることが認められる。そして、これらの事実と〈証拠〉とを総合すると、債務者としては、アセチレン部門の生産能力の増強、アセチレン容器の増加大口需要者に対する供給設備の改善等につきそれなりの努力をしてきたことが一応認められる。しかし、〈証拠〉によれば、債務者会社の設備投資は、大手同業者のそれと比較して、必ずしも十分なものではなかつたし、また、折角行なつた右のような努力も所期の成果をあげることができなかつたことが認められ、そして、〈証拠〉によれば、債務者会社の設備投資が十分なものでなく、また、それが所期の成果をあげえなかつた一つの原因は、債務者会社のアセチレン部門における労使関係の不安定にあつたように認められる。

(2) そこで、債務者会社のアセチレン部門における労使関係について見るに、〈証拠〉を総合すると、昭和三六年から同三七年にかけ、債務者が千葉工場内に新設した液酸工場への要員を川崎工場その他の従業員の中から捻出して配転することを組合に提案したことから、川崎工場のアセチレン部門においても、要員の過不足や適正配置をめぐる労使間の紛争が発生するに至つたこと、この問題は、債務者と組合川崎支部との交渉の結果、昭和三七年五月一四日、労使間に債務者が抗弁第三項2の(二)において主張するような内容のいわゆる二〇名要員覚書協約を締結して、一応の解決を見たこと、しかし、債務者は、その後も、人件費を節減してアセチレンガスの製造原価の引下げを図る必要から、組合に対し、要員の縮減と作業能率の向上とを求めたのに対し、組合は、従業員の労働強化であるとして、これに強く反対したこと、そして、その後、アセチレン部門の労使間には、要員問題をめぐり、昭和三七年一二月二〇日のいわゆる一九名要員団交確認、昭和三八年七月一五日のいわゆる一六名要員覚書、昭和三九年五月四日のいわゆる日立送アセ問題に関する一九名要員等確認、昭和四二年一一月一一日のいわゆる一四名要員覚書、昭和四四年一月一八日のいわゆる機械運転台数規制を含む一四名要員覚書などの協約が締結されたが、いずれも暫定的なものにすぎず、労使間の紛争は依然絶えなかつたこと、さらに、その間の昭和四二年には、労使間における民事訴訟事件や従業員による威力業務妨害等の刑事事件まで伴なつた九か月余りにわたる長期紛争が発生するなどのこともあつて、労使関係が安定しないまま、昭和四五年を迎えるに至つたことが一応認められる(なお、以上の事実のうち、債務者と組合ないし組合川崎支部との間にアセチレン部門の要員問題をめぐる紛争が発生したこと、債務者と組合川崎支部との間に右に述べたような覚書、確認などの協約が締結されたことは、当事者間に争いがない。)。もつとも、以上の長期間にわたる労使間の紛争の対象となつた個々の問題につき、労使の主張のいずれが合理的なものであつたか、また、その個々の決着が妥当なものであつたか否かについては、ここでは、これを確認するに足りる疎明がない。

(四)(1) ところで、〈証拠〉を総合すると、前記認定のとおり、債務者会社のアセチレン部門の収支は、昭和三八年以降、相当額の赤字を生ずるに至り、債務者会社の計算によれば、昭和四四年下期に至るまでの赤字の累計額は金四億一六〇〇万円にも達したが、その原因が、前記(二)の(2)において認定したように、アセチレン業界の構造の変化と債務者会社のアセチレン部門の作業能率の低さにあつたのに加えて、昭和四〇年代に入ると、アセチレンガスの原料であるカーバイトの慢性的品不足による価格の高騰、経済全体の高度成長に伴なう人件費や運賃の急激な増大の傾向が続くようになつたため、アセチレンガスの製造原価の上昇傾向は不可避なものとなり、昭和四四年には、アセチレンガス一キログラムの販売価格が約金一九七円であつたのに対し、その製造原価は約金二六九円にも達したこと、その結果、通常の努力や工夫をもつてしては、アセチレン部門の赤字を黒字に転ずることは不可能であると考えられるようになるとともに、前記(三)の(2)において認定したような事情から、組合ないし組合川崎支部に対し、要員の縮減や作業能率の向上を求めることも困難であると考えられるに至つたこと、昭和三八年以降も、債務者会社の酸素部門等はかなりの業績をあげており、債務者会社全体の収支は相当額の黒字であつたが、昭和三八年から同四四年に至るまでのアセチレン部門の赤字の合計額は約金四億一六〇〇万円であつたのに対し、その間における債務者会社全体の純利益の合計額は約金一七億二九〇〇万円であつたから、アセチレン部門をこのままの状態で存続すれば、債務者会社全体の経営にも深刻な影響を及ぼすことが予測されたこと、さらに、債務者会社の主たる製造部門である酸素部門は、右のようにかなりの業績をあげていたものの、これを大手同業者のそれと比較すると、相当の立遅れを余儀なくされており、例えば、系列下のオンサイトプラントおよび共同製造会社を含めた大手同業者間の酸素の生産能力を比較すると、昭和四五年には、債務者が抗弁第三項3の(一)において主張するとおりの格差が生ずるに至つていたことを一応認めることができ、この認定を覆すに足りる疎明はない。なお、〈証拠〉によると、債務者会社の株式の配当率は、昭和三七年には無配であつたものが、昭和三八年下期から年四分に、昭和四一年上期から年六分に、昭和四二年下期から年八分に、さらに昭和四四年下期から年一割にそれぞれ増加していることが認められるけれども、いまだ右認定を覆すに足りるものではない。

(2) なお、〈証拠〉によれば、昭和三八年ころ以降における酸素製造業者兼営のアセチレン部門の業績の悪化ないしその経営の不利は、ひとり債務者会社に特有の問題ではなく、大なり小なり業界共通の問題であつて、債務者会社のアセチレン部門を含む昭和四三年までに開設された全国の酸素製造業者兼営のアセチレン部門の総数三五(うち大手業者のもの一八)のうち、昭和三九年から同四八年までの間に閉鎖されたものは一六(うち大手業者のもの一一、債務者会社のアセチレン部門の閉鎖の時点より早い時点で閉鎖されたもの八)にのぼつており、さらに、昭和五〇年七月現在で見ると、大手酸素製造業者兼営のアセチレン部門は全部閉鎖されていることが認められる。そして、これらの事実と〈証拠〉を総合すると、右のように昭和三八年ころ以降酸素製造業者によるアセチレン部門の兼営が不利なものになつた原因は、前記認定のように、昭和三四年ころから多数の業者がアセチレンガスの製造業界に進出して、業者間の競争が激化するようになるとともに、昭和三八年ころから石油系溶断ガスが大量かつ安価に生産され、アセチレンガスの大口需要者がアセチレンガスの使用を石油系溶断ガスの使用に切り換えるようになつたのに加えて、アセチレンガスの製造工程が極めて簡単で、かつ、労働集約的なものであるため、製造設備の近代化や大型化による経費節減の余地が少なく、酸素製造業者などによる大経営方式よりもアセチレンガスの専業製造業者による小経営方式の方が有利になつたことにあるものと一応認めることができる。

(五) そして、〈証拠〉によれば、債務者は、具体的には昭和四四年一〇月ごろから、アセチレン部門の存廃についての検討を重ねた末、前記認定のような事情のもとにおいては、同部門の収支の早期改善はも早ほとんど期待することができないと判断して、同部門を全面的に閉鎖するなどこれを債務者会社の経営から切り離す以外に方法がないという結論に達したこと、しかし、アセチレン部門の閉鎖は、同部門に勤務している従業員の生活に重大な影響を及ぼすことになるため、昭和四五年三月ごろから、同部門の従業員の雇用をできるだけ継続したまま、同部門の営業を第三者に譲渡する案や、同部門の従業員を経営主体とする別会社を設立する案などを検討し、とくに後者については、同年三月三〇日、組合川崎支部との団体交渉において提案したこと、しかし、前者は、同部門の営業をそのまま引き受けてくれる適当な第三者を見出すことができず、また、後者は、組合川崎支部の承諾を得ることができなかつたため、いずれも実現するに至らなかつたこと、債務者は、その後も検討を重ねたが、結局、同年六月五日の取締役会において、アセチレン部門を全面的に閉鎖するとともに、同部門に勤務している従業員全員を解雇すると決定したことを一応認めることができる(なお、以上の事実のうち、債務者が昭和四五年三月三〇日組合川崎支部に対しアセチレン部門の従業員を経営主体とする別会社を設立する案を提示したことは、当事者間に争いがない。)。

(六) 以上に認定、判断したところから考えると、債務者がアセチレン部門を閉鎖するに至つたことは、債務者会社の事業の経営上一応やむをえないものであつたということができる。

4(一) そこで、次に、債務者がアセチレン部門を閉鎖するのに伴ない同部門の従業員全員を解雇したことが、債務者会社の事業の経営上やむをえないものであつたか否かについて検討する。

(二) 債務者も自認するとおり、およそ事業の経営者がその経営上やむをえない事由により特定の事業部門を閉鎖しなければならないときでも、同部門に勤務している従業員の解雇は最少限に止めるのが望ましいことはいうまでもないから、債務者がアセチレン部門を閉鎖するに当たつても、まず、同部門の従業員を債務者会社の他の事業部門に配置転換するとか、同部門の従業員ないし債務者会社全体の従業員の中から希望退職者を募集するとかの方法を講じることにより、同部門の従業員の解雇をできるだけ回避するように努力すべきであつたのであり、もし右のような方法を講じることが可能であつたのにかかわらず、それをすることなく、同部門の従業員全員を解雇したものであるとすれば、その解雇はいまだ事業の経営上やむをえないものであつたとはいえないものと解すべきである。

(三) ところで、債務者がアセチレン部門を閉鎖するに当たり、右のような配置転換、希望退職者の募集等の方法を講じることを考慮したかについて検討するに、〈証拠〉によれば、債務者は、アセチレン部門の閉鎖を決定するに当たり、同部門の従業員につき右のような方法を講じうるか否かを検討したが、債務者が抗弁第三項3の(三)において主張するとおりの理由により、そのような方法を講じることは不可能または困難であるとの結論に達したことが一応認められ、この認定を覆すに足りる疎明はない。そこで、さらに、債務者のなした右のような判断が相当なものであつた否かについて検討しなければならない。

(四)(1) まず、債務者は、債務者会社においてはアセチレン部門は川崎工場にしかなかつたのであるから、同部門の従業員を債務者会社の他の工場のアセチレン部門に配置転換するということは不可能であると判断したというが、債務者会社のアセチレン部門が川崎工場にしかなかつたことは当事者間に争いのないところであるから、右判断が問題のないものであつたことはいうまでもない。

(2) 次に、債務者は、アセチレン部門と酸素部門等とでは、作業工程が異なり、作業技能の面において互換性が乏しいため、アセチレン部門の従業員をそのまま酸素部門等に配置転換することは困難であると判断したという。たしかに、〈証拠〉によれば、アセチレン部門と酸素部門等とでは作業工程や職務内容が異なり、前者の従業員を後者の従業員に配置転換する場合には、多少の教育や再訓練を必要とすることが一応認められる。しかしながら、アセチレン部門と酸素部門等とで、作業工程や職務内容が具体的にどの程度異なり、どのような教育や再訓練を必要とするのかについては、十分な疎明がない。のみならず、〈証拠〉を総合すると、従来、債務者会社においては、アセチレン部門の従業員の中から酸素部門その他の部門への配置転換を命じた先例がかなり多数あり、また、昭和四一年一二月には、債務者が組合川崎支部に対してアセチレン部門の従業員七名を酸素部門に配転したいと提案した先例もあつたこと、帝国酸素、日本酸素、大同酸素などの大手酸素製造業者がその兼営のアセチレン部門を閉鎖するに際しても、同部門の従業員を酸素部門その他の部門に配置転換していること、さらに、本件解雇通告後、アセチレンガス製造業以外の種々の職種の会社が債務者に対し被解雇者を対象とする求人の申込みをしていることを一応認めることができる。したがつて、アセチレン部門と酸素部門等とでは、作業工程が異なり、作業技能の面で互換性が乏しいというだけの理由で、その間の配置転換が困難であるというのは相当でないというべきである。

(3) また、債務者は、酸素部門等においても従来からかなりの過剰人員があり、とくに昭和四〇年以降は、従業員の新規採用を停止するとともに、定年、自己都合退職等の自然減員を待つて人員の圧縮に努めてきたという事情にあり、アセチレン部門の従業員を受け入れる余裕は全くないと判断したという。たしかに、債務者が昭和四〇年以降一部の女子事務員を除く従業員の新規採用を停止していたことは、当事者間に争いがなく、また、〈証拠〉によれば、債務者が、酸素部門等においてもかなりの過剰人員があると主張して、右のように一部の女子事務員を除く従業員の新規採用を停止するとともに、定年、自己都合退職等の自然減員による人員の圧縮に努めてきたことが一応認められる。しかし、反面、〈証拠〉を総合すれば、債務者は、昭和四〇年から本件解雇通告のころまでの間に、女子従業員五〇名、男子従業員(保安係)二名を新しく採用したほか、定年で退職した男子従業員約二〇名を嘱託として残留させていること、右女子従業員の中には従前男子従業員が従事していた職場に配置されている者もあること、債務者は、本件解雇通告後昭和四九年一二月までの間に、男女従業員一二〇名余り(うち男子従業員七〇名余り)、を採用していること、そして、本件解雇通告の対象となつたアセチレン部門の従業員をも含めた昭和四五年四月一日現在の債務者会社全体の従業員数は五三二名であつたが、昭和四〇年以降における定年、自己都合退職等による自然減員数は年間三、四〇名にものぼつていたことが一応認められる。しかも、前記認定のとおり、昭和三八年以降においても、債務者会社の酸素部門はかなりの業績をあげていたのであつて、アセチレン部門の収支が赤字であつたにもかかわらず、債務者会社全体の収支は依然相当額の黒字を続けていたし、株式の配当率をも順次増加させていたのである。そこで、以上の事実を総合して判断すると、昭和四五年八月当時の債務者会社の状況のもとにおいても、債務者の側に従業員の立場と利益に対する配慮の気持ちと実行の意思さえあれば、アセチレン部門の従業員の全部または少なくともその一部を酸素部門その他の部門に配置転換することも不可能ではなかつたと認めるのが相当であり、その余裕が全くなかつたというのは不自然である。因みに、〈証拠〉と弁論の全趣旨によれば、帝国酸素、日本酸素、大同酸素などの酸素製造業者がその兼営のアセチレン部門を閉鎖した際には、いずれも同部門の従業員(その人員も多い場合には、二十数名から四十数名にのぼる。)をその他の部門に配置転換するなどの方法を講じることにより、整理解雇者を一名も出していないことが一応認められるのであるが、反面、右各業者がそのアセチレン部門を閉鎖した当時、それらの業者には、その他の部門にアセチレン部門の従業員を吸収するに足りる欠員等があつたという疎明はないのであるから、右のような処置は、いずれも右各業者がその従業員の立場と利益を考慮して、それ相当の工夫と努力を凝らした結果であると推定すべきであろう。

(4) さらに、債務者は、川崎工場の全従業員の中から希望退職者を募集するという方法を採ることは、債務者会社の全従業員に動揺を生じさせるばかりでなく、当時の求人難の状況下においては、他の同業者等による債務者会社の熟練労働者の引抜きを誘発する原因となるおそれが大であると判断したという。昭和四五年当時は、わが国の経済が高度成長期にあり、求人難の状況であつたことは、公知の事実であるから、債務者が右のような懸念を抱いたということ自体には一理がないわけではない。しかしながら、前記認定のとおり、当時におけるアセチレン部門の閉鎖は、ひとり債務者会社にかぎられた問題ではなく、業界共通の問題であり、とくに大手の酸素製造業者においてその実施の例が多かつたのであるから、仮に債務者が右のような希望退職者募集の方法を採つたとしても、事前に全従業員に対しそれが業界共通の問題であるアセチレン部門の閉鎖に伴なう措置であることを十分に説明しさえすれば、従業員の動揺や熟練労働者の引抜きをそれほどおそれる必要はなかつたのではないかと推測される。さらにまた、仮にそうでなかつたとしても、〈証拠〉によれば、本件解雇通告を受けた者の中には、その通告を受けた直後に、川崎工場長である月村正太郎に対し、アセチレン部門が閉鎖され、会社を辞めることになるのはやむをえないが、解雇では家族にも肩身が狭いので、せめて任意退職の形にしてほしいという希望を述べた者が数名いたこと、本件解雇通告を受けた四七名のうち一七名は、昭和四五年八月一五日またはその直後の段階で、任意退職の形式により債務者会社を辞めているし、さらに、その余の三〇名のうち債権者らを除く一七名も、結局、後日同様の形式で退職していること、他方、本件解雇通告後、かなり多数の会社が債務者に対し被解雇者を対象とする求人の申込みをしていることが一応認められるのであるから、債務者としては、まずアセチレン部門の従業員のみを対象とする希望退職募集の方法を試み、それでもなお債務者会社に残留することを希望する者がある場合には、その者につき配置転換の方法を考慮するということも可能ではなかつたかと思料される。したがつて、以上のような事情からすると、債務者が希望退職者募集の方法を嫌忌したことは、あまりにも自己防衛本位にすぎ、解雇される従業員の立場や利益を軽視したものであるとの批判を免れることはできないであろう。

(5) なお、債務者が、アセチレン部門の閉鎖およびその従業員の解雇を決定するより前である昭和四五年三月三〇日、組合川崎支部との団体交渉において、同部門の従業員を経営主体とする別会社を設立する案を提示したが、結局組合川崎支部の承諾を得ることができず、実現するに至らなかつたことは前記認定のとおりである。しかし、〈証拠〉によれば、債務者は、右別会社案の提示に当たつては、ただ、アセチレン部門は累積赤字を抱え先行好転の見込みもないので、生産を継続してゆくことは不可能である そこで、もし同部門の従業員にその責任と計算で同部門を独立経営してゆく意思があれば、その経営を従業員に任せたい、その場合には債務者もできるかぎり応援する、一週間以内にその意思の有無について回答してほしいなどと述べ、ひたすら債務者による同部門の経営存続の不可能性を強調するとともに、従業員による経営の意思の有無の回答を求めたのみで、従業員による経営存続の構想やその可能性、債務者の応援の内容、赤字の原因やその解消の方法等については何ら具体的な説明や提案をしなかつたこと、そこで、組合川崎支部としても、右提案につき具体的な検討の仕様がなく、結局、同年四月七日の団体交渉において、債務者の提案は経営の責任を従業員に転嫁するにすぎないものであつて納得できない、したがつて、右提案は検討に値いしないと述べ、これを承諾しなかつたこと、そして、右の別会社案は、現実には、従業員数の大幅な縮減による人件費の節減を図るのでなければ、実行の可能性のないものであつたことが一応認められる。したがつて、右提案は、元来、アセチレン部門の従業員の解雇を回避するためになされた合理的な提案であつたとはいえないものであるから、この提案をもつて同部門の従業員の配置転換等に準じる措置であつたとはいえないのはもとより、組合川崎支部がこの提案を承諾しなかつたことをもつて債務者会社の事業の経営上本件解雇通告もやむをえないとする理由の一つとなしえないものであることも明らかである。

(五) そうすると、債務者がアセチレン部門を閉鎖するに当たり、同部門の従業員の配置転換、希望退職者の募集等の方法を講じて従業員の解雇の回避に努力することなく、直ちに同部門の従業員全員を解雇する措置に出たことは、いまだ債務者会社の事業の経営上やむをえないものであつたと解することはできないというべきである。

5(一) 右に判断したとおり、債務者がアセチレン部門を閉鎖するに当たり、直ちに同部門の従業員全員を解雇する措置に出たことは、いまだ事業の経営上やむをえないものであつたとは解しがたいのであるが、さらに、その解雇の手続自体が社会通念上首肯すべきものであつたか否かについて考察する。

(二) まず、右解雇の手続に関する事実関係について見るに、〈証拠〉によれば、債務者は、前記認定のとおり、昭和四四年一〇月ごろから、アセチレン部門の存廃についていろいろ検討を重ねた結果、昭和四五年六月五日の取締役会において、アセチレン部門を全面的に閉鎖するとともに、同部門に勤務している従業員全員を解雇することを決定し、さらに、その後、その具体的な日時および方法について検討したうえ、同年七月上旬、右閉鎖および従業員解雇の日を同年八月一五日とし、解雇者に対しては、退職金規定による退職金のほか、債務者の主張するとおりの特別加給金、予告手当および帰郷旅費を支払うことなどを決定したことが一応認められ、そして、右決定に基づき、債務者が、昭和四五年七月一六日、組合および組合川崎支部に対し、右決定の趣旨を通知するとともに、全従業員に対し、右閉鎖および従業員解雇の理由を説明したアセチレン工場部門白書を配布し、さらに、同月二四日、債権者らを含むアセチレン部門の全従業員に対し、本件解雇通告をするとともに、同年八月一五日、同部門を閉鎖するに至つたことは、当事者間に争いがない。また、アセチレン部門の閉鎖およびその従業員の解雇の問題につき、債務者が、抗弁第四項の1および2において主張するとおり、昭和四五年七月一六日から同年一〇月一二日までの間に、組合本部と団体交渉を行ない、結局、組合との間で、債務者会社の事業の都合による本件解雇を従業員の希望退職の取扱いとすること、退職する従業員に対し一人金一六万円の餞別金を支払うことなどの合意をなし、同年一〇月一二日、この合意を確認する覚書を作成したことも、当事者間に争いがない。

(三)(1) ところで、以上の事実関係を一見すると、債務者のなした右解雇の手続自体には格別問題がなかつたかのようにも見える。しかしながら、事案をさらに掘り下げ、当事者双方の事情を総合して考察すると、債務者の行なつたアセチレン部門の閉鎖およびそれに伴なう右解雇手続の進め方は、かなり唐突であり、性急であつたと判断せざるをえないように思う。すなわち、債務者が取締役会においてアセチレン部門の閉鎖および同部門の従業員の解雇を決定したのは昭和四五年六月五日であり、その閉鎖および解雇の決定を組合および組合川崎支部にはじめて通知したのは同年七月一六日であり、債権者らに対し本件解雇通告をしたのは同月二四日であり、そして、その閉鎖および解雇を実施したのは、右通知の日からでも約一か月、右通告の日からはわずかに約二〇日間を経過したにすぎない同年八月一五日であつたが、前記認定のとおり、債務者会社のアセチレン部門の収支が赤字を出すに至つたのは昭和三八年からであつて、その後七年余りの間赤字経営を継続してきたのであり、昭和四五年になつて同部門に突発的な緊急事態が発生したわけではないし、また、当時は、アセチレン部門の収支こそ赤字であつたものの、債務者会社全体は相当の業績をあげていたのである。そして、当時債務者会社にこのように性急にアセチレン部門の閉鎖およびその従業員の解雇を実施しなければならない特別の事情が存在したことについては十分な疎明がないのである。他方、債権者らは、昭和四五年当時、いずれも債務者会社のアセチレン部門に勤務していたものであるが、前記の認定から明らかなとおり、その大部分は、二〇才前後の年令で債務者に雇用され、以来一〇年またはそれ以上の長期間アセチレンガス製造等の業務に従事してきたものであるし、しかも、〈証拠〉によれば、債権者らは、いずれも特別の資産等はなく、債務者から支払いを受ける賃金、一時金等のみによつて生計をたてていたものであつて、いわばその生活全体を債務者会社での勤務にかけていたものであることが一応認められる。そして、〈証拠〉によれば、債権者らは、昭和四五年三月三〇日、債務者と組合川崎支部との団体交渉において、債務者から、アセチレン部門の従業員を経営主体とする別会社を設立する案の提示を受けたので、少なくともそのころからは、債務者が同部門の収支の赤字に苦慮し、同部門の存廃をも問題にしていることを知つていたものと推認することができるが、しかし、債権者らも、債務者が、このように突然に、アセチレン部門を閉鎖すると同時に、同部門の従業員全員を解雇するに至るであろうことまでは予測しえなかつたものと考えられるし、また、昭和四五年当時は、経済の高度成長期で求人は比較的に多かつたとはいえ、一旦整理解雇された者が、その後わずか二〇日間や一か月で、適当な再就職先(就職先はどこでもよいということはできない。)を見出しうるとの保障はなかつたのである。なお、〈証拠〉によつて認められる、帝国酸素、日本酸素、大同酸素などにおけるアセチレン部門の閉鎖の例を検討しても、債務者会社におけるアセチレン部門の閉鎖の場合のようにその実施が短兵急になされた例は見当らないのである。したがつて、以上のような事情を総合して見れば、債務者会社の行なつたアセチレン部門の閉鎖およびそれに伴なう従業員の解雇手続の進め方は、あまりにも自己防衛本位で、従業員の立場や都合を考えない唐突かつ性急なものであつたと評価されてもやむをえないであろう。

(2) また、右(二)に述べた事実関係から見ると、債務者会社のアセチレン部門の閉鎖および従業員の解雇については、組合も結局これをやむをえないとして了承しているかのように認められ、それが正当なものであつたかのように見える。しかし、〈証拠〉を総合すると、債務者が、前記のとおり、昭和四五年七月一六日、組合に、同年八月一五日かぎりアセチレン部門を閉鎖するとともに、同部門の従業員全員を解雇することを通知したのに対し、組合は、このような問題は組合始まつて以来の重大問題であり、軽々しくは取り扱えない、白書等は十分に検討するが、組合としては、組合員の生活を守る立場から解雇には反対である。具体的には今後の交渉で組合の意向を示してゆきたいなどと述べるとともに、債務者側のあまりにも事務的な解雇手続等の進め方に強い不満の意を表明したこと、しかるに、債務者は、いまだ組合から何らの具体的な回答もなかつたのにかかわらず、前記のとおり、同年七月二四日、債権者らを含むアセチレン部門の全従業員に対し、本件解雇通告をするとともに、退職後の再就職先の斡旋をも開始したこと、その後の団体交渉においても、組合は、債務者の性急な閉鎖および解雇手続の進め方に反対し、とくに同年八月一四日の団体交渉においては、取りあえず同月一五日の閉鎖の実施の延期、再就職の斡旋の中止を強く要求したが、債務者は、前記のとおり、同月一五日、予定どおりアセチレン部門の閉鎖を実施してしまつたこと、そして、同日から同月一八日までの間に、アセチレン部門の従業員のうち合計一七名の者が債務者に退職願いを提出し、退職金等の支払いを受けたこと、一方、債務者は、債権者らを含むその余の三〇名の者に対し、同月一八日、退職金等を同月二二日までに川崎工場で受領するよう通知したうえ、同月二四日、退職金等を横浜地方法務局川崎支局に供託したこと、その後の団体交渉においても、組合は、右三〇名の従業員の解雇に反対し、全従業員の中から希望退職者を募集して右三〇名の者だけでも債務者会社に残留させてほしいと要望したが、債務者は、頑としてこれに応じなかつたこと、事態がこのように組合の意向に反する方向に急速に進行したので、組合は、不本意ながら、同年九月八日、債務者との間に、前記のような合意をせざるをえない窮地に追い込まれ、結局、右合意をなし、それにつき組合員の全員投票を行なつたうえ、同年一〇月一二日、右合意を確認する覚書に調印するに至つたものであること、なお、以上の間、債務者は、アセチレン部門の閉鎖および同部門の従業員の解雇につき直接の利害関係を有する組合川崎支部とは交渉せず、もつぱら組合本部とのみ交渉したものであることを一応認めることができる。そこで、以上の事実関係を見れば、組合も、アセチレン部門の閉鎖および同部門の従業員の解雇に何ら同意していたものではなく、とくに同部門の閉鎖が実施されるまでの段階においては、これに強く反対していたものであることが明らかである。そして、〈証拠〉によれば、帝国酸素、日本酸素、大同酸素などがそれぞれのアセチレン部門を閉鎖した場合には、その労働組合に対し閉鎖計画を通知したのち、相当の期間(短かくても二か月半、長い場合は約一年)をかけて、労働組合と交渉し、その同意を得たうえ、閉鎖を実施していることが一応認められるのであるが、債務者会社のアセチレン部門の閉鎖の場合は、これらの場合と甚だ対照的である。

(四) なお、前記の3において認定した事実関係から見ると、とくに本件においては、債務者がアセチレン部門を閉鎖したこと自体は事業の経営上一応やむをえないものであつたということができるものの、債務者が、昭和三八年から同四五年に至るまでの長期間アセチレン部門の赤字経営を続け、結局、同部門を閉鎖してその従業員全員を整理せざるをえない羽目に陥つたことについては、それらの従業員に対し事業の経営者としての責任を免れることはできないというべきであるから、そのような責任のある債務者は、仮に労働協約や就業規則上の従業員の解雇同意約款等がなかつたとしても、アセチレン部門を閉鎖するに当たり、事前に、かつ、相当の時間をかけて、同部門の従業員ないしその所属する組合と誠意を尽して交渉し、もつて従業員の整理問題を円満に解決するよう努力すべき信義則上の義務をも負つていたものと解すべきであるが、右の(二)および(三)において述べた事実関係に基づいて判断すると、債務者はこのような信義則上の義務を十分に果していないものといわなければならない。

(五) そうすると、債務者のなしたアセチレン部門の従業員の解雇の手続自体も、いまだ社会通念上首肯すべきものであつたと解することはできないというべきである。

6 以上で判断したところを要約すると、債務者がアセチレン部門を閉鎖したこと自体は事業の経営上一応やむをえないものであつたということはできるが、しかし、債務者が、同部門を閉鎖するのに伴ない、直ちに同部門の従業員全員を解雇する措置に出たことはいまだ事業の経営上やむをえないものであつたと解することができないし、さらに、その解雇の手続自体もいまだ社会通念上首肯すべきものであつたと解することはできないから、債務者のなした本件解雇通告によつては、いまだ就業規則第五二条本文、同条第八号の規定に基づく解雇の効力は生じていないものというべきである。したがつて、債務者の抗弁は、結局その理由がなく、採用することができない。

(奥村長生 小野寺規夫 林豊)

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